桜田淳子 結婚。 天性のスーパーアイドル『桜田淳子』

桜田淳子の長男や長女や次女である娘の画像が・・・

桜田淳子 結婚

桜田淳子さんは、公式プロフィールが「1958年4月14日生まれ(2018年現在60歳)・秋田県秋田市出身・身長160cm・血液型O型・聖トマス大学卒業」となっている元歌手・女優です。 桜田淳子、アイドル歌手デビューし人気を博す 1972年「スター誕生!」で、番組史上最高得点を獲得しグランドチャンピオンになった桜田淳子さんは、サンミュージックに所属し1973年歌手デビューしました。 その後同世代の森昌子さん、山口百恵さんとともに花の中三トリオ、高校に入ってからは花の高三トリオと呼ばれ、人気を集めました。 宗教団体統一教会信者であることを告白 歌手・女優としても活躍していた桜田淳子さんですが、1992年に宗教団体統一教会(当時の正式名称:世界基督教統一神霊教会)の信者であり、同年開催された合同結婚式(正式名称:3万組国際合同祝福結婚式)に参加表明し大騒動になりました。 しかしその後は宗教活動の影響もあり、1996年の仕事を最後に芸能活動を休止しています。 このコンサートは、同年2月25日にリリースしたニューアルバム「マイ・アイドロジー」の記念イベントでもあり、桜田さん45周年記念のファンイベントでもありました。 このニューアルバムは35年ぶりの新録アルバムで、代表作の新録に加え、桜田さん本人が作詞作曲した新曲も収録しています。 また、同年3月25日にもベストアルバムを発売し、いよいよ本格的に桜田さんが芸能活動を再開するのでは、と複数のニュースサイトが報じています。 2017年4月オムニバスコンサートで芸能界復帰を見据えていた 桜田淳子さんは2017年4月7日、映画音楽のオムニバスコンサート「スクリーン・ミュージックの宴」にも参加していました。 関係者もこの参加により芸能界復帰を見据えていたと話しており、桜田さん自身も、2013年の40周年公演でファンの反応が良かったため参加を踏み切ったものでした。 夫の信行氏によると、5月の通夜に参列した際「太った」と騒がれたことで、桜田さんもさすがに気にしてダイエットしたとのことでした。 こうして見てみると、桜田さんは2013年の40周年記念コンサートを皮切りに、ファンの反応を受けて次へ繋げ、2017年のコンサートの結果を受けて2018年の芸能活動再開にシフトしてきていると言えますね。 1992年に桜田さんと統一教会の合同結婚式で結婚したとき、夫の東信行氏は父から引き継いだ事業を経営していましたが、2000年に会社を整理しています。 その後信行氏は会社整理で残った資産を運用して生計を立てており、家族は比較的裕福に暮らしているといいます。 2018年時点、長男24歳、長女22歳、次女20歳という3人兄妹で、学校などの情報は一切入っていませんが、2000年に信行氏の母の世話のために兵庫県西宮市へ、その後2004年には東京都世田谷区へ居住を移しています。 桜田淳子と夫、離婚の噂があるが実際は? 桜田淳子さんが夫と離婚して、生活のために芸能活動の再開を果たそうとしているという噂は本当なのでしょうか。 特に離婚を疑わせる情報がなかったため、2人の不仲説は根拠がないと言えます。 実際、信行氏の会社整理や現在の生計の情報、40周年コンサート前のダイエットの情報も、雑誌インタビューで信行氏自身が答えたものです。 信行氏が桜田さんとのその後を取材されても丁寧に応じている様子や、2006年桜田さんの著書「アイスルジュンバン」では桜田さんの良妻賢母ぶりがうかがえることから、不仲と思われる兆候はありません。 考えられるのは、信行氏が統一教会脱会したという噂から出た憶測なのではということです。 しかしこの噂を確認するため報道記者が問い合わせたところ、当の伝道部長及び本部広報は「答えられない」とし、今なお真偽は謎のままです。 桜田淳子と姉は宗教団体統一教会を脱会した? 桜田淳子さんが統一教会に入信したのは、実の姉の熱心な勧めによるものでしたが、現在もまだ共に信者として活動しているのでしょうか。 2013年の報道によると、反統一教会の先頭に立っていた父親は1989年に他界しています。 桜田さんの兄はその遺志を継いでいるものの、桜田さんと母親との間に立ち、母娘の関係は改善しています。 しかし、現在は教団にも芸能活動復帰も否定的だった母親が認知症になり、むしろ「重しが取れた」状態だという報道もあります。 桜田さんは芸能界復帰も見据えてか、宗教活動は最近行っていないということですが、姉とともに統一教会の信者であることに変わりはないようです。 調べてみましたが、結局は創始者の文鮮明氏のインスピレーションでマッチングされた、互いに面識のない男女が合同で式を上げるのが合同結婚式ということでした。 世界的に信者がいる統一教会ですが、日本は特に合同結婚式の参加費と結婚後の支払いが高額だといいます。 当然、桜田淳子さんも特別扱いではないので、相当な額を支払ったのでしょう。 それでも、桜田さんは結婚後、合同結婚式での結婚こそが正しいと実感していると取材で答えています。 桜田淳子が入信した統一教会ってどんな宗教団体? では、その統一教会がどんな宗教団体かというと、元は朝鮮半島のキリスト教から発生した宗教法人団体ですが、主流派キリスト教からは異端とされています。 1954年創設された当時の名称は「世界基督教統一神霊協会」だったため「統一教会」と呼んでいますが、1994年(日本では2015年)に「世界平和統一家庭連合」と改称されました。 日本では、私財の貯蓄を禁じ教団に寄付するよう言われたり、布教のための霊感商法を行うなど、社会問題に発展しました。 現在は創始者の鮮明氏は死去、後継者争いで鮮明氏の妻派・三男派・「四男+七男」派に内部分裂しています。 桜田淳子さんは妻派ということなので、芸能活動は妻派の広告ということになるのでしょう。 では、そんなことを全てクリアして今の家庭を設けた桜田さんの子育てはどんなものなのでしょう。 宗教団体統一教会流?桜田淳子、驚愕の子育て 桜田淳子さんは1994年に長男、1996年に長女、1998年に次女を自宅で自然分娩で出産しました。 統一教会では、我が子であっても神様の子という考え方なので、桜田淳子さんは子供にミルクを与えながら「どうぞお飲みくださいませ」と話しかけていたといいます。 桜田さんのエッセイ集「アイスルジュンバン」では、まず夫を第一に大事にする、そして子供は神の子として大事にする、そんな「愛する順番」を中心に書いているのですが、統一教会信者でない読者からも共感の声が聞かれるように、桜田さんの良妻賢母ぶりの評判は高いようです。 桜田さんの姉は、20歳で統一教会に入信後失踪しましたが、後日両親に発見され家に連れ戻されました。 しばらくすると姉は統一教会のことを言わなくなったため改心したと思った両親は、この姉を芸能界で活躍していた妹の桜田さんの付き人にしました。 しかし姉は改心していたわけではなく、付き人として一緒にいる妹の桜田さんに、熱心に統一教会を勧めていたのです。 両親はのちにこれを知り、姉を付き人にしたことを大変後悔していたといいます。 桜田淳子16歳の時の暴漢事件が入信のきっかけか? そんな環境の中1975年、桜田淳子さんにショッキングな事件が起こりました。 姉と桜田さんが暮らす自宅に、暴漢が侵入したのです。 たまたま姉が一人で帰宅した際暴漢に襲われたのですが、気丈に立ち向かい、大事に至りませんでした。 しかし当時16歳の桜田さんは大きなショックを受け、しばらく恐怖心に悩まされました。 桜田淳子、19歳で統一教会に入信していた 桜田淳子は合同結婚式後仕事を干されていた 桜田淳子さんは1992年に統一教会の合同結婚式で結婚後、宗教活動が影響し仕事が激減しました。 結局、1993年の映画「お引越し」に女優として出演し、その後1996年のイベント出演したのを最後に、実質芸能界活動休止となりました。 桜田淳子は実力派歌手・女優として絶賛、将来も有望視されていた 統一教会の一件がなければ、桜田淳子さんはさらに幅広く活躍を続けていたことでしょう。 それほどまでに歌手・女優として実力派で評価が高かったのです。 歌手としては第15回日本レコード大賞最優秀新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞にも輝きました。 女優としては井上ひさしなどの放送作家から絶賛され、舞台では大御所長谷川一夫からの指名を受け、初舞台での大役を演じ切りました。 また、映画界でも市川崑監督作品に出演、主演ミュージカルでも成功を収め、芸術祭大衆芸能部門優秀賞他、多数の受賞歴があります。 桜田淳子は復帰のための準備も万端、今も通用する歌手に 桜田淳子さんは、1983年の新曲を最後に、女優に転向し歌手活動はしていませんでした。 しかし、30年ぶりに歌で復帰し、変わらぬ歌声を披露したというのは、さすがのプロ根性としか言いようがありませんね。 桜田淳子は家族と円満、宗教団体統一教会に所属し完全復帰!.

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統一教会の芸能人・有名人で有名なのは誰?

桜田淳子 結婚

生い立ち [ ] 父親は。 一男二女の末っ子。 幼少の頃、のに住んでいた綺麗な叔母が秋田に帰ってきて喋る、聞きなれないが流暢で耳に心地よく東京に憧れた。 幼稚園に上がった頃から人前で何かやるのが好きで、小学校では学芸会の常連だった。 小学校6年のとき、将来何になりたいかというアンケートに"女優"と書いた。 中学2年のとき、毎週観ていた『』でがグランプリに輝いた。 自分と同じ年の合格者に驚き、乗り出すように画面を観ていると、秋田地区でオーディションをするので応募したい人はどうぞと字幕スーパーが出た。 瞬時のためらいもなくハガキを出し、両親にも学校にも言わずオーディションに向かった。 その日は夏台風の接近で交通機関の運休があり、応募7000人のうち、会場に集まったのは5000人だった。 歌手として・女優として [ ] (昭和47年)(放映は)、中学2年生(14歳)の時にの人気番組『』ので行われたテレビ予選 での「見知らぬ世界」を歌い 、番組史上最高得点となる573点で合格(挑戦者は7人で、合格ラインは250点。 会場が500点、プロは各自100点の計500点で、合計が1000点満点)。 同年(放映は)、で行われた第4回決戦大会で、これも番組史上最高の25社から獲得の意向を示すが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した。 創業者のの自伝『いつだって青春』によれば、当初、桜田はホリプロ入りの意向を示していたが、ホリプロには既に同番組出身のが所属しており、(スター誕生! の出身者が)同じ事務所ばかりに偏るのはどうかとの日本テレビ側の配慮もあって、に所属することになったという。 桜田本人は、芸能界の悪いイメージの中にあって、はさわやかで清潔な印象があり、森田さんの所属事務所なら間違いないという、ただ一つの理由で、秋田にやってきた日本テレビのプロデューサーに「森田さんの事務所に行かせて下さい」と言ったと話している。 1972年(昭和47年)10月中旬 、先の大森の叔母宅に寄宿し、私立品川中学校(現・)2年生に転入した。 3年時に同じクラスにが転入してきて、よく似た境遇でもあり、すぐに打ち解け親しくなる。 (昭和48年)により歌手。 デビュー曲「」は、チャートでも12位につけるなど好スタートを切った。 また、歌う時に被っていた(2枚目のシングル「」まで)も桜田のトレードマークとなり、当時「エンジェルハット」と呼ばれて話題になった。 この時点で既に人気の仲間入りを果たしていたが、その後、同じ『スター誕生! 』出身で、同世代の・と共に(当時)と呼ばれるようになり、トリオとしての名称は3年後の「高三トリオ」まで続いた。 3枚目のシングル「」のヒットで、、第4回放送音楽新人賞を受賞。 さらにその年の大晦日にはのにも輝いた。 同年11月にリリースされた4枚目のシングル「」で初めてチャートの入りを果たす。 続く「」「」「」も順調にベストテン入りし、8枚目のシングル「」ではチャート第1位を獲得。 その後も「」「」「」「」「」「」「」「」などなど、数々のを飛ばした。 は累計で600万枚近くを売り上げ、トータルで18曲をチャートのベストテンに送り込んでいる。 デビュー3年目の(昭和50年)には、・シングルレコード年間売上、マルベル堂の売上、『』の年間人気投票において、いずれも女性歌手部門の1位を獲得するなど(「マルベル堂」『明星』『平凡』『近代映画』首位の4冠は美空ひばり・吉永小百合に続くもの)で、名実共にを代表するトップのひとりであった。 また、としてのセンスもあり、特に『』で見せたとの「夫婦コント」(『私って駄目な女』シリーズ)での絶妙なかけ合いは、音響、照明効果も相まって人気を博し、お茶の間だけでなく、ら放送作家達からも絶賛された。 歌手として活躍する一方で、女優としてもの映画『』を皮切りに、『』『』『』『』と、5本の映画で主演を務めていたが、にはの大御所、の指名により、『おはん長右衛門』で舞台女優にも挑戦。 初舞台ながら長谷川一夫の相手役を演じたことで、役者としての資質が改めて注目されるようになった。 その資質は翌年の監督作品『』での一人二役を経て、の初主演『アニーよ銃をとれ』で大きく開花し、その年の大衆芸能部門(2部)優秀賞を、当時史上最年少で受賞するなど高い評価を得た。 この頃から次第に女優としての活動に比重が置かれるようになっていき、に発売された作曲のシングル「」のリリースを最後に歌手活動を停止、完全に女優業へ転向した。 その後は数多くの、、で活躍、歌手時代のみならず女優に転向してからも、(大衆芸能部門 文部大臣新人賞)や(演劇賞)を始め数多くの賞を受賞している。 『』、『』、『』、『』などで何度もグラビアを飾っている。 またしゃべり方に特徴があり、ものまね番組などでサ行の発音をデフォルメして真似されることも多く、のシチュエーションコメディ『』内でも、出演者の一人であるがたびたび桜田の物真似を披露している。 アイドルでありながらリクエストされればでしゃべってみせたり、秋田音頭や持ち歌をお国訛りで歌ったりするなどサービス精神が旺盛で、1970年代後半にの『さなえ』のに起用された際も、「やっぱし早苗だべさ」というお国訛りのセリフが有名になった。 重度の。 合同結婚式・芸能活動休止 [ ] 6月30日、5日前にが2か月後に行われる(統一教会)のに参加することを記者会見したのに続き、同じ合同結婚式に参加することを記者会見で表明した。 このとき、統一教会に入信していた姉の影響で19歳頃から入信していたことを自ら明らかにし、その合同結婚式で会社と結ばれた。 なお、桜田の実父は桜田の姉が統一教会に入信した際、全国原理運動被害者父母の会の支部(現 全国統一協会被害者家族の会)「秋田父母の会 陽光会」に参加し会長を務めたこともあった。 この合同結婚式に桜田ら有名人が何人も参加したことによって、統一教会と脱会した元信者らを中心とする反統一教会側との間の訴訟問題がよりクローズアップされるようになった。 テレビ放送のワイドショーで統一教会の信者であることや霊感商法に関与したのではとの疑惑を取り沙汰され、また一方的な非難・糾弾報道をされたこともあってか、次第に発言そのものを控えるようになっていった。 ちなみに桜田自身がこれらの件で告訴・逮捕・勾留・起訴・有罪判決や民事訴訟を起こされた事実はない。 自分の所属していた事務所サンミュージックの社長・にを売りつけていたのではという疑惑報道がなされたことがあったが、これについては、社長自身が桜田の親族を通じて200万円の壺を買っており、後日「淳子の純粋な気持ちは分かっている。 彼女のためと思って私が買った」と語っている。 婚姻後は夫の地元のに移り住む。 その後も桜田が信者の集会や教会関連のイベントで講演したりするたびに芸能マスコミが取り上げ、「統一教会の」だとして批判する図式が続いていたが、一方で直接関係のない話題であっても、統一教会絡みの話題に「桜田淳子らが参加した合同結婚式で有名な」と名前を引用した当時のスポーツ紙・週刊誌の記事、ワイドショーのタイトルも相当数あり、結婚後のある時期からは、自らがメディアに顔を出す形での取材は一切受けていない。 まれにマスコミ向けに出す著名人などへの慶弔のコメントも、すべて自筆の手紙という形で寄せている。 現時点での3月に公開された映画『』への最後の出演と12月15日、都内で行われた統一教会クリスマスフェスティバルを最後の公の場に、それ以降は一切の芸能活動を休止、事実上の芸能界引退となっている。 騒動の最中、スポンサーが特定ののイメージを嫌ってCMの契約が全部なくなったことや、「まわりには迷惑をかけられない」との理由で当たり役だった『』の舞台(四女役)の降板を自ら申し出たことなどから、結婚後は仕事を干されたかのように報じられているが、3人の子供を出産後(いずれも自宅で自然)、子育てに専念していた間にも映画出演などの具体的なオファーはいくつか来ており、関係者や本人の弁によれば「子育てに忙しく身動きが取れない」という理由で全て断っていたとのことである。 4月に夫が経営していた会社をたたみ、同年8月、夫の高齢の母の世話をするため、近所のに移り住む。 その間の9月、『桜田淳子BOX〜そよ風の天使〜』が発売された際は、ブックレットに自筆メッセージを寄せている。 にはに転居。 転居後も桜田が統一教会関連の集会で時折講演したり、歌を披露している姿が報じられたことなどから、一部のでは、夫は統一教会の幹部になったという無署名記事を掲載したこともあったが、2006年12月19日発売の『』での夫への直撃インタビューでは夫自身がこれを完全否定、現在は会社を整理した際に残ったの運用で生計を立てていると答えている。 近況 [ ] 11月24日には14年間の沈黙を破り、エッセイ集『アイスルジュンバン』()を上梓。 子育てのこと、近所づきあい、学校の先生との触れ合いなどについてユーモアを交えながら綴っている。 ただ、その良妻賢母ぶりに共感する声もあがる一方で、合同結婚式に参加し、マスコミから広告塔として騒がれたことについて一切触れていないとして、ワイドショーや週刊誌記事では軒並み批判的な論調が多かった。 もっとも『』(1月22日付)のインタビューではこのことについても語っており、著書の中で触れなかったことに「隠したつもりはありません、ただ(教会のことについて)発言することでまた泥仕合になるのは避けたい、今の私は甘受したいと思います」と答えている。 さらに同インタビューでは仕事復帰をほのめかす発言もしており、エッセイの出版や東京への引越もその足がかりではと見たマスコミによる、「桜田淳子 芸能界復帰へ」の憶測報道もなされた。 2007年、歌手時代に発表した全19枚のオリジナルアルバムがCDで復刻され、購入特典のメッセージ入りCD「声の手紙」(非売品)の中では、かつてのオリジナル作品3曲を間に挟む形で語り、およそ10数年ぶりに肉声を披露している。 5月28日、代表取締役会長:のに参列し、16年半ぶりに公の場に現れた。 同年10月23日、デビュー40周年を記念し、本人自薦のベストアルバムにTV映像集を加えた『Thanks 40 〜青い鳥たちへ』を発売。 11月26日には銀座博品館劇場にて「Thanks 40スペシャル〜ファン感謝DAY」を開催し、約21年ぶりにファンとの交流を果たした。 4月7日、銀座博品館劇場で開催された『スクリーン・ミュージックの宴 with ピアニスター・HIROSHI』にゲスト出演し、80年代に主演したミュージカル「アニーよ銃をとれ」の主題歌である「ショウほど素敵な商売はない(There's No Business Like Show Business)」や、自身33枚目のシングル「化粧」など全5曲を披露。 チケットが数分で完売するなど、現在も衰えぬ人気を証明した。 2月7日、桜田淳子プロジェクトを発表。 同年2月25日に35年ぶりの新録アルバム「マイ・アイドロジー」をリリース予定で、にて注文受付中。 更に3月21日にベストアルバム「Thanks45~しあわせの青い鳥」をビクター・エンタテイメントより発売、3月27日に銀座博品館劇場にて「"マイ・アイドロジー"スペシャル~ありがとうのかわりに」を開催する。 1 万枚 SV-1134 B面 足長おじさん 2nd A面 阿久悠 中村泰士 高田弘 27位 7. 1 万枚 SV-1142 B面 虹のほほえみ 3rd A面 阿久悠 中村泰士 高田弘 18位 15. 9 万枚 SV-1151 B面 恋人になって!! 4th A面 阿久悠 中村泰士 9位 23. 7 万枚 SV-1161 B面 のっぽの恋人 高田弘 5th A面 阿久悠 中村泰士 10位 18. 6 万枚 SV-1172 B面 あなたのひとりごと あかのたちお 6th A面 阿久悠 10位 16. 5 万枚 SV-1181 B面 気になるあいつ 森田公一 馬飼野康二 7th A面 阿久悠 中村泰士 あかのたちお 9位 12. 3 万枚 SV-1193 B面 白い貝がら 8th A面 阿久悠 森田公一 1位 52. 7 万枚 SV-1208 B面 特別な気持 9th A面 阿久悠 4位 34. 1 万枚 SV-1217 B面 涙のいいわけ 高田弘 10th A面 竜崎孝路 9位 12. 9 万枚 SV-1231 B面 だからわたしは 11th A面 阿久悠 森田公一 竜崎孝路 2位 40. 4 万枚 SV-1232 B面 高原物語 12th A面 阿久悠 森田公一 竜崎孝路 4位 28. 1 万枚 SV-1246 B面 叱られてから 13th 1975年 11月25日 A面 阿久悠 森田公一 竜崎孝路 5位 27. 0 万枚 SV-1261 B面 あなたが恋しい 14th A面 阿久悠 森田公一 4位 21. 6 万枚 SV-1279 B面 あなたの接吻にはトゲがある 15th A面 阿久悠 森田公一 高田弘 2位 36. 0 万枚 SV-6009 B面 白い少女のバラード 竜崎孝路 16th A面 阿久悠 2位 28. 6 万枚 SV-6094 B面 かかとの折れた靴をさげ 大野克夫 高田弘 17th A面 阿久悠 高田弘 11位 20. 4 万枚 SV-6133 B面 招待席 18th A面 阿久悠 6位 15. 2 万枚 SV-6178 B面 女らしく 19th A面 阿久悠 森田公一 船山基紀 7位 21. 0 万枚 SV-6221 B面 若い人のテーマ 20th A面 阿久悠 筒美京平 船山基紀 8位 14. 4 万枚 SV-6276 B面 ロンリー・ガール 21st A面 船山基紀 3位 36. 5 万枚 SV-6319 B面 晩秋 穂口雄右 22nd A面 中島みゆき 船山基紀 11位 16. 4 万枚 SV-6363 B面 エンゲージリング 馬飼野康二 23rd A面 筒美京平 10位 19. 6 万枚 SV-6416 B面 トロピカル・ランデブー 筒美京平 萩田光雄 24th A面 中島みゆき 船山基紀 14位 11. 7 万枚 SV-6468 B面 サマータイム・ブルース 松本隆 筒美京平 萩田光雄 25th A面 中村泰士 萩田光雄 29位 6. 0 万枚 SV-6531 B面 メッセージ・ラブ 26th A面 阿久悠 萩田光雄 24位 12. 3 万枚 SV-6552 B面 昼さがりのエレジー 27th A面 阿久悠 25位 6. 6 万枚 SV-6595 B面 女は自由 28th A面 51位 2. 5 万枚 SV-6618 B面 まわれ私の恋よ 29th A面 51位 2. 6 万枚 SV-6651 B面 あなたは魔術師 1980年代 30th A面 馬飼野康二 船山基紀 44位 3. 7 万枚 SV-6693 B面 ミスター・ブルー・スカイ K. Klouse 松井忠重 31st A面 65位 1. 9 万枚 SV-7028 B面 ひと房の葡萄 32nd A面 鈴木邦彦 松井忠重 85位 1. 0 万枚 SV-7054 B面 愛の真ん中 33rd A面 中島みゆき 42位 7. 5 万枚 SV-7075 B面 夢追い 34th A面 船山基紀 - SV-7112 B面 哀しみの前奏曲 35th A面 小田裕一郎 大村雅朗 53位 3. 8 万枚 SV-7120 B面 恋はSEE-SAW 竜真知子 松井忠重 36th A面 小田裕一郎 大村雅朗 - SV-7153 B面 刹那Tic 麻木かおる 37th A面 青木望 - SV-7237 B面 スウィート・スウィート・スウィート 山上路夫 38th A面 - SV-7319 B面 数えないで 小椋佳 アルバム [ ] スタジオ・アルバム [ ]• 2007年に、シングル盤の別テイクやオリジナルカラオケ等のボーナストラックを加えて、それぞれCDで復刻された。 各CDごとに2007年の桜田淳子へのインタビューを交えたライナーノーツがつけられている。 発売日 タイトル 備考 1970年代 1st 「」、「」他全12曲 SJX-134 2nd 「」他全12曲 SJX-146 3rd 公募した詩の朗読を中心としたコンセプトアルバム SJX-184 4th 「」他ナレーションと歌で構成 SJX-207 5th 「」、「」他ナレーションと歌で構成 GX-1005 6th ナレーションと歌で構成 SJX-10128 7th 「」他全11曲 SJX-10171 8th 「」他全12曲 SJX-20002 9th 「」他全11曲 SJX-20002 10th 「」他全12曲 SJX-20057 11th 、の書き下ろし作品4曲を含む全10曲。 シングル「」を収録 SJX-20127 12th 作曲の「センチメンタル・ボーイ」「バカンスの終りに」を含む全12曲。 シングル「」を収録 SJX-20151 1980年代 13th シングルA面曲を一切含めずに構成された全10曲。 桜田淳子自身が作詞を手掛けた「グッドバイ・ハッピーデイズ」を収録 SJX-30052 14th A面をが、B面をがそれぞれ作曲を担当。 シングル「」、「」を含む全10曲 SJX-30099 15th 、、らによる書き下ろしに加え、作曲のシングル「」を含む全10曲 SJX-30208 2010年代 16th 35年ぶりの新曲「ありがとうのかわりに」、ヒット曲4曲のセルフカヴァー、朗読を含む全8トラック。 全曲新録音の45周年記念アルバム JS-001 カバー・アルバム [ ]• 2007年に、シングル盤の別テイクやオリジナルカラオケ等のボーナストラックを加えて、それぞれCDで復刻された。 各CDごとに2007年の桜田淳子へのインタビューを交えたライナーノーツがつけられている。 発売日 タイトル 備考 1970年代 1st 「」、カヴァー曲を多数収録・全12曲 SJX-159 2nd 「」、カヴァー曲を含む他全12曲 SJX-169 3rd 「」を始め、中島みゆき作品のみで構成された全10曲。 後のシングル盤とは別アレンジの「化粧」も収録 SJX-20084 4th 「」「ローレライ」「」「」といった外国曲の愛唱歌をカヴァーした全12曲 SJX-20101 ライブ・アルバム [ ]• 2008年にCD-BOX『桜田淳子BOX〜スーパー・ライブ・コレクション〜』で復刻された。 発売日 タイトル 備考 1970年代 1st にて収録。 司会・ナレーションは、当時のだったが務めた。 桜田淳子本人を始め、阿久悠、中島みゆき、歴代担当ディレクター等がコメントを寄せたブックレットや、全シングルの縮小版ジャケットも収められている。 定価15,750円(税込) VIZL-92 完全受注生産による上記BOXのアンコールプレス盤。 定価、及び収録内容等は同一である。 2nd 過去に発売された全てのライブ盤、及び主演映画「遺書・白い少女」のサントラ盤のリマスター音源を収録したCD全9枚と、1979年にNHKで放送された「ビッグショー」の模様を完全収録したDVD1枚が収められている。 尚、サントラ盤にはボーナストラックとして、シングルB面のオリジナルカラオケを5曲収録。 VIZL-289 2010年代 3rd デビュー40周年記念のアニバーサリーベストアルバム。 自らが監修した、10代のアイドル時代の曲を中心とした「THE IDOL」と今ステージを行うとしたらというコンセプトで選曲した「THE FAVORITE」の2枚のCD、それにTBS「」の歌唱シーンなど貴重な映像が収められたDVDの3枚組アルバム。 また「スペシャルBOOK」には桜田淳子本人からの書き下ろしメッセージが添えられている。 VIZL-568 4th デビュー45周年記念のアニバーサリーベストアルバム。 ライブ音源の中から自らが選曲した2枚のCD、「」の音源を収録したボーナスCD、NHKや渡辺プロダクションが保有するテレビ番組の歌唱シーンなど貴重な映像が収められたDVDの計4枚組アルバム。 また「スペシャルBOOK」には桜田淳子本人の書き下ろしメッセージ、ライナーノーツ、特別座談会が収録されている。 VIZL-1333 参加作品 [ ] 発売日 タイトル 楽曲 備考 発売元 君を奪いたい 「春の恋人たち」 SV-1229 山本明のデビューシングル。 桜田がデュエット参加している。 タイアップ曲 [ ] 楽曲 タイアップ 収録作品 ひとり歩き 映画「」主題歌 シングル「」 白い風よ 「」主題歌 シングル「」 白い少女のバラード 松竹映画「」主題歌 シングル「」 若い人のテーマ 映画「」主題歌 シングル「」 夕暮れはラブ・ソング 系テレビドラマ「」主題歌 シングル「」 玉ねぎむいたら… TBS系テレビドラマ「」主題歌 シングル「」 スウィート・スウィート・スウィート TBS系テレビドラマ「」主題歌 シングル「」 出演 [ ] 紅白歌合戦 [ ] 出場年度/放送回 回 出場曲 対戦相手 備考 (昭和49年) 初 ・の2人が両脇で一緒に踊りながらコーラスを担当 (昭和50年) 2 バックダンサーはテニスルック姿のとの4人 (昭和51年) 3 ・・がバックコーラスを担当 (昭和52年) 4 先攻の紅組トップバッターを務め、歌い出しの歌詞の一部を紅白仕様に変更して歌唱 (昭和53年) 5 この回では桜田淳子以外にも、、がの提供作品を歌唱 (昭和54年) 6 高1トリオ以来続いた・との揃っての出場はこの年が最後 (昭和55年) 7 との掛け合いが押してしまい、歌い出しに被ってしまうハプニング (昭和56年) 8 直前に歌ったが居残る形でエスコートし、途中までパフォーマンスを披露 (昭和57年) 9 この年の紅白のテーマ企画を受ける形でのヒット曲を歌唱 歌番組 [ ]• (1977年、TBS)• (1978年 他、TBS)• (1978年 他、CX)• 「桜田淳子 明日への序曲」(1979年2月13日放送、NHK)• (1981年7月15日放送、CX)• その他「 NTV 」、「 CX 」、「 TBS 」、「 NET 」、「 NHK 」、「 TX 」等多数 コンサート [ ] 【ワンマンショー】• 桜田淳子ショー ひとり歩き(1975年4月25日 - 5月1日 )• 桜田淳子ショー 淳子の四季(1976年4月24日 - 4月30日 )• 桜田淳子ショー はばたけ若い人!(1977年4月26日 - 5月2日 )• 桜田淳子ショー 淳子満開!(1978年4月25日 - 5月1日 )• スーパーライブ!桜田淳子 さわやかな青春(1979年4月25日 - 5月1日 ) 【リサイタル】(主な公演のみ)• 桜田淳子16歳のリサイタル(1974年 )• 桜田淳子リサイタル2 ビパ!セブンティーン(1975年 他)• 青春賛歌〜桜田淳子リサイタル3(1976年 他)• 桜田淳子リサイタル4 ラブ・トゥゲザー(1977年 東京芝郵便貯金ホール 他)• 桜田淳子リサイタル5(1978年 東京芝郵便貯金ホール 他)• 桜田淳子スーパーライブ リサイタル6(1979年 他)• 桜田淳子らいぶ 私小説(1980年 )• いなたいコンサート Misty Night(1981年 )• 桜田淳子ハプニングショー ようこそ10YEARS(1982年 )デビュー10周年記念コンサート 【ジョイント】• 森田健作・桜田淳子ショー(1974年5月4日 - 5月10日 )との共演• 花の三人娘/涙の卒業式(1977年 )、との共演 映画 [ ]• (松竹 1973年)桜田淳子役 「わたしの青い鳥」の歌唱• (松竹 1973年)桜田淳子役 「天使の初恋」の歌唱• (松竹 1973年)小野寺真奈美役 「花物語」の歌唱• (松竹 1974年)中根伸子役• ( 1975年)主演 梅村乃里子役• ( 1975年)高木アカネ役 、と共演• (松竹 1975年)最上順子役• (松竹 1976年)主演 中原亜砂子役• (東宝 1977年)主演 江波恵子役• (松竹 1977年)主演 槙村美世役• (東宝 1977年)高3トリオの卒業コンサートの模様を追ったドキュメント• (東宝 1978年)主演 黛夏子役• (東宝 1979年)「法眼由香利」と「山内小雪」の2役• ( 1980年)高見葉子役• (松竹 1987年)友情出演• (東映 1987年)岩田キミ役• (東宝 1988年)竹井夕子役• (松竹 1989年)柳田邦子役• (東宝 1989年)荒木実沙役• (東映 1990年)鈴木うめ役• (東宝 1990年)• (東宝 1991年)尚子役• ( 1991年)喜娘役• ( 1993年)漆場なずな役 舞台 [ ]• (1978年10月 )ヒロイン おはん役• おはん長右衛門(1980年3月 )ヒロイン おはん役• (1980年10月 )主演 役• (1983年5月 )弥生役• アニーよ銃をとれ(1983年9月 )主演 アニー・オークリー役• (1984年2月 東京宝塚)四女 妙子役• (1984年8月 )ヒロイン オードリー役• 細雪(1985年5月 東京宝塚)四女 妙子役• 細雪(1985年8月 )四女 妙子役• (1986年2月 東京宝塚)役• 細雪(1986年3月 )四女 妙子役• (1986年7月 )オリヴィア役• アニーよ銃をとれ(1986年10月 シアターアプル)主演 アニー・オークリー役• (1988年1月 東京宝塚)由美役• 細雪(1988年5月 東京宝塚)四女 妙子役• 細雪(1989年1月 国立文楽劇場)四女 妙子役• (1989年11月 )「ゆう姫」と「乞食女オナカ」の2役• 細雪(1990年10月 東京宝塚)四女 妙子役• 細雪(1990年11月 中日劇場)四女 妙子役• (1991年5月 東京宝塚)楡桃子役• (1991年11月 帝国劇場)お絹役 ドラマ [ ] 【レギュラードラマ】• (1974年、)、などと共演。 (1974年 - 1975年、NTV) 主人公の娘役• (1975年、TBS)ヒロイン 、などと共演。 (1977年、ANB)主人公()のいとこ役。 (1978年、・)オープニングのナレーションを担当。 (1979年、NTV)ヒロイン• (1980年、TBS)主演 ユキ役• (1981年、TBS)主演 斉藤小浪役• (1982年、TBS)ヒロイン まゆ役• 「街〜若者たちは今」(1982年、)主演 律子役• (1983年、TBS)ヒロイン• (1984年、NTV)主演 早川波子役• (1985年、TBS)• 「季節はずれの蜃気楼」(1985年、NHK)主演• 「」(1985年、NHK)坂東律子役• 「」(1987年、NHK)役• (1988年、)相川里美役• III(1989年、NTV)小日向あきら役 【単発主演ドラマ】• (TBS)• 第1119回「初恋通りゃんせ」(1978年)• 第1337回「城下町の夏」(1982年)• 第1375回「花咲く街で」(1983年)• 第1494回「おーい春子」(1985年)• 第1509回「プロポーズをもういちど」(1985年)• 第1560回「女マンガ家故郷へ帰る」(1986年)• 「わかれ道〜ある朝炎のように」(1978年)• 「魚たちと眠れ 洋上女子大学殺人事件」(1978年)• 「裏窓の花嫁」(1986年)• 夫婦は夫婦「魔が過ぎた時」(1981年、CX)• 女優シリーズ 妻たちは……「ふりむけば春」(1982年、CX)• 「かりそめの妻」(1982年、)• (NTV)• 「危機一髪の女」(1982年)• 「遅すぎた手紙」(1984年)• 「海よ眠れ・PARTII〜愛と青春の輝き」(1984年、TBS)• 水曜ドラマスペシャル(TBS)• 「湖に立つ女」(1986年)本編冒頭で原作者の 本人が「ナツキ先生=役名」としてゲスト出演 [ノン・クレジット]• 「遺言を頼まれた女」(1987年)• 「麗子の決闘〜銃口に愛をこめて」(1992年)• 「悪魔からの通告」(1986年、CX)• 日本放送作家教会脚本公募入選作「いもうと〜異父妹〜」(1989年、)• (NTV)• 「思春期外来」(1989年)• 「合鍵の女」(1991年)• (CX)• 「ゴミが捨てられない」(1990年)沢田薫役• 「8時50分」(1991年)広美役• 「警察官の妻たち」(1991年、TBS)• 『』(1991年、)北守礼子役• 「株式会社の妻たち」(NTV)• 「ハンサムガールズ〜いい女は夜眠れない」(1991年)• 「ハンサムガールズII〜結婚は女が選択する」(1991年)• 「株式会社の妻たち」(1991年)• 土曜ドラマ「」(1992年、)• 「死の声が聞こえる」(1992年、)• 旅情サスペンス「函館幸坂・ふたりの女」(1992年、CX) 【単発ゲスト出演】• 第3部 59話「咲け! のぞみの花」(1973年、) 篠田梨花役• 第2話「17歳の花ことば」(1974年、)と共演。 楠本夕子役• 日本テレビ開局25周年記念ドラマ「希望の大地〜75万人の日系ブラジル移民」(1978年、NTV)• 第13部 第8話「悲願を秘めた蜆売り・吉田」(1982年 TBS・)柏木妙役• 「義母と小姑」(1983年、)ヒロイン• (CX)• (1983年)• (1988年)• (1984年、)ヒロイン おまき役• 第40話「消えた女の伝説」• 第41話「疑惑の小公女」• 北方領土返還キャンペーンドラマ「海鳴り」(1984年、HBC)ヒロイン• 「」(1984年、KTV)斉明寺ゆき役• ドラマスペシャル「」(1985年、)ヒロイン• 特別企画ドラマ「閨閥」(1990年、TBS)• 『』(1991年、CX)• 金曜ドラマシアター「」(1992年、CX)ヒロイン• 「ホテル開業(オープン)」(1990年、TBS)ヒロイン• (YTV)• 「父と娘〜空白の18年」(1983年)ヒロイン• 「愛・かなしくても愛」(1986年)• 12時間超ワイドドラマ「」(1992年、TX)ヒロイン やち役• 終戦記念特別企画「」(1992年、CX)ヒロイン CM [ ]• ダリヤリップクリーム、ベネルック化粧品・ピアノセット/1973年 - 1975年• レインボーソックス/1974年• 1973年 - 1976年• プリンゼ/1974年• エレキベースギタープラモデル/1974年 - 1975年• カンコー学生服/1974 - 1977年• 純白カラーテレビ/1975年• 中一コース、学研ニューコース/1975年 - 1977年• マカナッツチョコレート、コメッコ、知床しぶき、パリポ、しぐれ 他/1975年 - 1979年• 新エスタックW、ブロン液/1975年 - 1980年• 田植機「さなえ」シリーズ/1975 - 1982年• ルームエアコン楽園(CMソングのみ)/1979年• /1979年 - 1980年• (現・) ミニプッシュホン/1980年 - 1982年• 食物せんいの素/1981年• ファンヒーター/1981年 - 1983年• 芳香剤(HANAE MORI・蝶)/1985年• 強力わかもと/1986年• セブン-イレブン/1989年(ナレーションのみ)• ニューパルスイート(CMソングのみ)• 1990年• ナイスミディパス/1992年 バラエティ番組 [ ] 【レギュラー】• (1974年 NTV)• (1983年 TBS)• 単発ゲストでは「 TBS 」、「 CX 」、「 NTV 」、「 ANB 」他多数。 CX 」のの第1回のゲストでもある。 また、11歳の時に「 NTV 」の「ちびっ子まねっ子コンテスト」に素人として出演している。 ラジオ [ ]• 月曜パーソナリティー(1980年 - 1981年 ) みんなのうた [ ]• (1975年2月 - 3月 NHK) 映像作品 [ ] VHS [ ]• (日本音楽教育センター) 「」「」「」「」「」「」「」の歌唱シーンを収録。 DVD [ ]• ベストセレクション VOL. 1 - VOL. 3(バップ)• 『サラの瞳』 みみずくぷれす 1984年1月• 『テレビ人生! 「そんなわけで!! 」録』 著 コアラブックス(イラストを担当) 1985年12月• 『神様がくれた贈り物(シルク)』 1992年9月• 『アイスルジュンバン』 集英社 2006年11月 受賞歴 [ ]• 1973年度• 放送音楽新人賞 「わたしの青い鳥」• 最優秀新人賞 「わたしの青い鳥」• 1975年度• ・シングルレコード年間売り上げ 女性歌手個人 第1位• 売り上げ 女性歌手部門 第1位• 大衆賞受賞• トップ・アイドル賞• あなたが選ぶ ベストアクション賞• 最優秀歌謡音楽賞(下期) 「天使のくちびる」• 日本歌謡大賞 放送音楽賞 「天使のくちびる」• 日本レコード大賞 大衆賞 「『十七の夏』他一連のヒット曲」• 1976年度• 日本テレビ音楽祭 敢闘賞受賞• あなたが選ぶ全日本歌謡祭 ベストアクション賞• 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞 「夏にご用心」• 1977年度• 日本テレビ音楽祭 特別賞受賞• 新宿音楽祭 ベスト10受賞• あなたが選ぶ全日本歌謡祭 ベストアクション賞• 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞 「もう戻れない」• 日本レコード大賞 大賞候補曲ベスト10選出 「気まぐれヴィーナス」• 1978年度• あなたが選ぶ全日本歌謡祭 男性視聴者賞 「20才になれば」• FNS歌謡祭 歌謡音楽賞 「20才になれば」• 全日本有線放送大賞 優秀スター賞 「20才になれば」• 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞 「20才になれば」• 日本レコード大賞 金賞 「しあわせ芝居」• 1980年度• 昭和55年度 第35回 大衆芸能第2部門 優秀賞 ミュージカル「アニーよ銃をとれ」における演技に対して。 1986年度• 昭和61年度 第37回芸術選奨 大衆芸能部門 受賞理由 「ミュージカル『アニーよ銃をとれ』の演技は、優れた女優としての地位を確実に獲得したといえる。 また『エドの舞踏会』『十二夜』でもその実力が開花し、今後がいよいよ期待される。 1987年度• 第13回 演劇賞 『女坂』の由美の演技に対して。 1988年度• 第62回 助演女優賞 映画『イタズ』の演技• 第43回 助演女優賞 映画『イタズ』の演技• 第12回 助演女優賞 映画『イタズ』の演技• 第12回 助演女優賞 映画『イタズ』の演技• 助演女優賞 映画『イタズ』の演技• 1990年度• 第14回日本アカデミー賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技• 日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技• 1991年度• 第12回 ルポルタージュ賞 シルクロード探検ルポ『神様がくれた贈り物』• 1993年度• 第67回キネマ旬報 助演女優賞 映画『お引越し』の演技• 第48回毎日映画コンクール 助演女優賞 映画『お引越し』の演技• 第18回報知映画賞 助演女優賞 映画『お引越し』の演技 脚注 [ ] []• 月刊平凡・9月号より• 後に『スター誕生! 』に挑戦した山口百恵も牧葉の「回転木馬」を歌った。 出版企画部(編) 『誰も書かなかった国際合同結婚式』(光言社 1993年3月1日)• 桜田淳子さん、16年半ぶり公の場…相澤さん通夜• スポーツニッポン 2013年5月29日閲覧• 雑誌「」募集歌。 でからまで深夜枠で放送されていた歌手のワンマンライブ番組 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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桜田淳子も経験した統一教会の合同結婚式の現在!その結婚観に驚き!本当に幸せなのか?

桜田淳子 結婚

元トップアイドルで女優としても活躍した「桜田淳子」さん(当時34歳)が、統一教会の合同結婚式への参加を表明し、世間を仰天させたのは1992年にことでした。 合同結婚式には元新体操選手・山崎浩子さん、元バドミントン選手・徳田敦子さんらも参加しており、この出来事はスキャンダラスに報じられたのです。 名前:桜田淳子(さくらだじゅんこ) 生年月日:1958年4月14日(61歳) 職業:女優、歌手 出身:秋田県秋田市 学歴:聖トマス大学 Sponsored Links 1992年6月30日、東京・赤坂のTBSで朝7時半という異例の早い時間に記者会見が行われました。 200人近い記者に囲まれていたのは桜田淳子さんです。 会見は桜田さんの統一教会の合同結婚式への参加表明でした。 この5日前に山崎浩子さんの参加表明に驚かされた記者たちは「またしても」と衝撃に包まれたのです。 桜田さんは笑顔をふりまきながら、15年前からの信者で「隠れキリシタンのような心境だった」と告白しました。 そして、8月に行われる合同結婚式に参加すると宣言したのです。 入信については、「自分の意思」と言い切りましが、実姉がもともと熱心な統一教会信者で合同結婚式の経験者だった影響が大きかったと言われています 姉は東京に出た桜田さんと同居し、妹の面倒を見ていたと言います。 また、統一教会の合同結婚式と言えば、カップルは教祖によって決められるのですが、それに関しては「母も兄姉も見合い結婚だから抵抗はない。 見ず知らずの人でも価値観が同じであれば迷いはない。 ましてや文鮮明教祖が選ぶ方ですから…」ときっぱりと答えました。 合同結婚式参加は、様々な議論を呼んでいました。 当時、統一教会の霊感商法が社会問題になっていたこともあり、メディアでは批判論が主流だったのですが、統一教会には「今から入信しても合同結婚式に参加できるか?」、「桜田淳子と結婚できる確率はどのくらいあるのか?」などといった独身男性からの問い合わせが数多く寄せられたのです。 教祖が1日数百組の夫婦の組み合わせを決める「カップリング」や「3日儀式」と呼ばれる独特の初夜儀礼も明らかにされました。 これは結婚後40日間の禁欲期間の後、1日目と2日目は女性上位でコトを行い、3日目には男性上位で1回ずつ避妊具なしで交わるというものです。 これらの報道を好奇の目で眺める人も多かったのです。 8月25日、予定通り合同結婚式はソウル・オリンピックスタジアムで1万組弱の新婚カップルを集めて行われ、桜田さんも山崎さんらと参加しました。 桜田さんの夫に選ばれたのは、同年代の福井県の会社経営者・東伸行さんです。 山崎さんは結局、入籍前に統一教会から脱会して相手との事実婚状態も解消しましたが、桜田さんと東さんの間には子供が3人で、今なお良好な夫婦関係が続いています。 もっとも、芸能活動は翌年公開された映画「お引越し」が最後となりました。 報知映画賞の最優秀助演女優賞を受賞してから、桜田さんのメディア露出と途絶えました。 統一教会の広告塔的活動がメディアやスポンサーから敬遠されたからだと言われています。 その後、2006年にはエッセー集「アイスルジュンバン」を刊行。 2013年には感謝イベントを開きファンとの交流を行いましたが、今なお、事実上の引退状態にあります。 ただ、2017年4月7日に銀座博品館劇場で開催された「スクリーン・ミュージックの宴 with ピアニスター・HIROSHI」にゲストで出演した際には、チケットが数分で完売するなど、今なお衰えぬ人気を証明しました。 Sponsored Links.

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